考古学者に知られていない銅牌飾が
たくさんある。
考古学者は
もっと研究の対象を広げなければならない


 中国の夏王朝に存在した「トルコ石象嵌の銅牌飾」は考古学者に知られているものは15個に過ぎない。しかしそれらとは別に考古学者に知られていないトルコ石象嵌の銅牌飾が沢山あることが分った。中国語のネットで「銅牌飾」等の言葉で検索してみたり、海外のオークションを探してみたのである。当然それらは考古学者の研究対象になった形跡がない。私はネットを通じて考古学者に知られている15個の写真だけではなく、考古学者に知られていない銅牌飾の写真をネットから探し出した。写真だけではあるが、私は専門の考古学者より数多くの「トルコ石象嵌の銅牌飾」を見ていると思う。

 考古学者に知られている15個は多くが二里頭文化のものとされていて、斉家文化には「トルコ石象嵌の銅牌飾」は無いとされている。しかし考古学者が知らない銅牌飾の中には、写真から見て斉家文化のものと思われるものが確かにある。更に考古学者に知られていて海外に流出しているものは10個あるが、それらは出土地は全く分からないのに、二里頭文化のものとされている。その10個は恐らく盗掘されたもので海外に売り飛ばされたものである。そしてその多くは有名な博物館に収蔵されている。その一つはは日本のNIHO博物館にある。海外に流出しているもの10個(二里頭文化のものとされている)の中には斉家文化のものと考えれるものもある。

 一方考古学が知らないもの、例えば私が見付けたオークションに出品されたものは収蔵先が分っていない。しかしそうであってもネットで調べられるのだから、研究者はそれを研究の対象にすべきである。そうすれば、考古学者に知られていて海外に流出しているもの(出土地が不明)の中にも、斉家文化のものがることに気が付くはずである。つくづく思うのだが銅牌飾の研究とは殆んど出土地が分らないものを研究しているのである。言い換えるならば銅牌飾の研究とは盗掘品の研究と言えるのである。考古学者に知られている15個のうち10個は海外に流出したもので恐らく盗掘品である。

 トルコ石象嵌の銅牌飾について分からない方は盾形銅牌飾の研究(👈クリック)を読んで頂きたい。まず先に考古学者に知られているもの15個を示し、その中で海外に流出したもの10個は二里頭文化のものとされているが、斉家文化であるものである可能性があるものがあることを指摘したい。

二里頭文化と斉家文化の位置





トップ アイコン 考古学者に知られている15個のトルコ石象嵌のある銅牌飾

 15個の内二個を除いて、中国山東大学の王青博士の論文に載っている。また写真は中国語のネットからわたしが探し出したものである。

下の写真は中国国内に残された5個(これは出土地がハッキリしているので疑いの余地がない)
夏王朝二里頭遺跡の出土品

二里頭文化
二里頭文化のものと
されているが
甘粛省天水出土なので
斉家文化のもの
三星堆遺跡出土
長江文化


海外に流出した10個のうちの5個、海外に流出した10個は全て二里頭文化のものとされている
日本のMIHO
博物館

ハーバート大学サックラー
博物館
欧州で所蔵されて
いるとするもの
ポール・シンガー氏の
個人収蔵品
ホノルル芸術学院の
収蔵
<二里頭文化
 1  2  3  4  5


海外に流出した10個のうちの5個、二里頭文化のものとされている


ハーバート大学
サックラー博物館
二里頭文化
ポール・シンガー氏の
収蔵品

二里頭文化
 
王青博士の論文には
無い
ドイツで2006年に
競売に出されたもの
王青博士の論文には
無い。一度も論文に登場していないかも。
王青博士がニューヨークので見たというもの
二里頭文化
ハーバート大学サックラー博物館
二里頭文化
 6  7  8  9  10


 海外に流出した10個のうち4番から10番のものは斉家文化のものの可能性がある。なぜなら私の収集品の斉家文化(下の写真の右)のものと比較すると、ポール・シンガー氏の個人収蔵品(4番)のものは技工がわたしのものより劣る(技工が二里頭文化の技工に達していない)とおもわれる。それで、ポール・シンガー氏の個人収蔵品(4番)は斉家文化のものである可能性がある。同じ理由で海外流出のものの5番から10番のものも斉家文化のものである可能性がある。なお、私の収集品が斉家文化のものであると言える根拠については斉家文化にトルコ石象嵌の銅牌飾が存在するという証拠(👈クリック)を参照


ポール・シンガー氏の
個人収蔵品
(4番)
私の収集品
斉家文化のもの


 なお海外に流出したもののうちの8番目のものは明らかに斉家文化のものである。何故なら下の右のものと全くソックリで、右のものは我孫子市のwさんの収集品であり、Wさんの収集品は私の知り合いの売人から購入したものであると思われる。だから斉家文化のものである。だからドイツで2006年に競売に出されたものもまた斉家文化のものである。それにしてもドイツで競売に出されたものと、Wさんの収集品がこれほどソックリであることにはビックリした。恐らく同じ工房で作られたものと思われる。尚
ドイツで競売に出されたものは一度も論文に登場したことがないようである。だから二里頭文化のものとされたことは無いようである。


ドイツで2006年に競売に
出されたもの

海外に流出したもののうちの
8番のもの。一度も論文に
載ったことがないかも。
我孫子市wさんの収集品
斉家文化のものとおもわれる

 以上のことから考古学者に知られているトルコ石象嵌の銅牌飾の中には幾つか斉家文化のものが含まれていると考えられる。

注記;海外に流出した銅牌飾がたくさん載っている中国語のページはここ



トップ アイコン 考古学者に知られていないトルコ石象嵌の銅牌飾


 2009年に北京でオークションに出品されたもの

 北京の2006年のオークションに出品され17万円位で落札されたもの。オークションの解説によれば、戦国時代のものとして出品されているが、戦国時代のものではないと疑問を投げかけている。これは王青博士がニューヨークで見たもので偽物だとするもの二件(後出)にとよく似ている。また台湾の国立故宮博物館所蔵のもの(後出)ともよく似ている。この紋様の素朴さから二里頭文化のものではないと考えられる。考古学者に知られた二里頭文化の銅牌飾にこの様な紋様のものは無い。だから斉家文化ものに間違いない。



 2016年以降に中国以外でオア―クションに出されたもの5個


 銅牌飾A  銅牌飾B  銅牌飾C  銅牌飾D  銅牌飾E
 斉家文化  二里頭文化  二里頭文化  二里頭文化  二里頭文化

オークション情報

  場所 オークション時期  オークションURL  クリック↓ 出品者又は場所 サイズ
銅牌飾A 台北  2017年10月29日 齐家文化 青铜嵌绿松石龙面纹牌饰 スェーデン  13.5×10.2
銅牌飾B 香港  2016年秋期 二里头文化 铜嵌绿松石「兽面」纹牌饰  ドイツの収集家 13.7cm
銅牌飾C マカオ  2017年5月23日 二里头文化 镶嵌绿松石兽面纹铜牌饰 台湾の収集家 15.3x10cm
銅牌飾D 香港 2015年8月3日 二里头时期 铜嵌绿松石兽面纹牌饰  1991年にロンドン 15.5cm
銅牌飾E カナダ 2018年12月30日 夏代 二里头文化三期青铜嵌绿松石牌 不明 11.5x:7cm


ー1、牌飾Aと銅牌飾Bについて


 驚くべきことに 銅牌飾Aと銅牌飾Bは私の収集品とソックリである。 私の収集品が斉家文化のものであるのだから、牌飾Aと銅牌飾Bは斉家文化のものである。この三件はほんとにそっくりなのは恐らく同じ工房で作られた物だろう。私の収集品とソックリな物が二つもオークションに出品されていたなんて驚きである。全くビックリ。

(銅牌飾A)
台湾の台北でオークションに出された物
2017年10月29日に出品
(銅牌飾B)
 香港のオークションに出品された物
2016年秋期オークション
 
私の収集品
北京の骨董市場で
見つけたもの 
斉家文化の銅牌飾 オークションに出された銅牌飾 銅牌飾
  斉家文化のものとして
オークションに出品された
 二里頭文化のものとして
オークションに出品された 
 斉家文化のものである 
オークション会社が2008年にスエーデンの
ヴェステロース市で購入

ドイツの収蔵家が
出品した物
北京の潘家園という
骨董市場で
私が見つけ購入した


ー2、再び銅牌飾Aについて

 銅牌飾Aは斉家文化のものとしてオークションに出品されている。台湾の台北のオークション会社が斉家文化のものしたのだろう。銅牌飾Aが斉家文化のものであれば、それ全くソックリな銅牌飾B(二里頭文化のものとして出品されているが)も、私の収集品も斉家文化のものと言える。しかし銅牌飾Aが斉家文化のものであるとするにはもっと確かな根拠がほしい。


 このものをどうして斉家文化ものとしたのか? 台湾のオークション会社のページを見ると、2012年西安博物館招待展厳選展示アルバムの47ページに載っていたのだとか。その時にすでに斉家文化のものと書かれていたのかもしれない。同じくオークション情報によれば、スエーデンのヴェステロース市で買ったものと書かれている。同じ日のオークションで青銅製のトルコ石象嵌のあるナイフが出品されていて、これもまたスエーデンからのもので、斉家文化のものと書かれていてある。私の知識からすれば、トルコ石象嵌のある青銅製のナイフは斉家文化のものとしか考えられないし、斉家文化のものとしていることは正しだろう。



 この物(銅牌飾A)を斉家文化のものとするかについては、中国語の興味ある記事があるのを見つけた。それは次で 最新出土文物证明西北齐家文化或为夏朝文化的源头☜クリック 表題の意味は「最新の出土物が斉家文化は夏王朝文化のルーツであることを証明している」であり、この作者が言うには、斉家文化の発見者であるスェーデン人のアンダーソン博士が銅牌飾をスェーデンに持ち帰って、それがオークションに出品されたというのである。アンダーソン博士は北京原人の周口店遺跡を発見した人であり、1924年に斉家文化の命名の元となった甘粛省の斉家坪遺跡を発見した人でもある。

 アンダーソン博士が銅牌飾を本当にスェーデンに持ち帰ったのだろうか。アンダーソン博士がもし青銅器を発掘したなら、斉家文化には青銅器があった位のことは必ず書き残すと思う。私はアンダーソン博士の日本語訳の本を読んだことがあるが、アンダーソン博士は珍しいのもであれば何でもスケッチで記録する人のようである。だから記録しないなんてことはあり得ない。

  しかし私としてはこのものが斉家文化のものであってほしい。アンダーソン博士がスエーデンに持ち帰ったものであってほしい。それは私の言っている斉家文化にはトルコ石象嵌の銅牌飾が存在するという証明になるからである。この物(銅牌飾A)のオークション情報によれば、これは洛陽市博物館にある二里頭遺跡から出土したトルコ石象嵌の動物紋の銅牌飾や、四川省の金沙遺跡博物館にあるトルコ石象嵌の銅牌飾と比較されると書かれていて、二里頭文化の銅牌飾は、斉家文化から継承したもので、斉家文化と夏文化(二里頭文化)は密接な関係があると書かれているが、この物(銅牌飾A)を斉家文化のものとした根拠は示されていない。私の収集品が斉家文化のものであるのだから、それとソックリな銅牌飾Aは斉家文化のものとして間違いはないのだが、私の説「夏王朝の銅牌飾のルーツは斉家文化である」を証明するためにも、出土地の分からない銅牌飾Aを斉家文化のものとした根拠がほしい。


ー3、銅牌飾Cについて

 銅牌飾Cは二里頭文化のものに間違いない、二里頭遺跡から出土した国宝級の銅牌飾とソックリだからである。大きさも殆どほとんど同じで落札価格も一億円に近かった。しかしこれも学者が研究対象にした様子はない。中国語のネットで镶嵌绿松石铜牌饰」の中国語で検索しても、大発見のニュースは無いようである。落札価格も一億円近くであることから見ても大ニュースであるはずなのだが。オークション情報にも夏王朝の遺跡から出土した国宝級の銅牌飾と形、紋様、材料が完全に一致していると書かれている。しかし国宝級の夏王朝の遺物とソックリなものがオークションに出品され一億円近くで落札されたのに、中国でニュースになった様子がないのは不思議なことである。それは台湾の収蔵家が持っていた物からなのだあろうか。元はと言えば盗掘品に間違いない。国宝級のものが盗掘されて売られていることが明らかになり、それが困ることなのだろうか。考古学者はこのものを是非研究の対象として貰いたい。



(銅牌飾C)のオークション情報は 二里头文化 镶嵌绿松石兽面纹铜牌饰☜クリック
(銅牌飾C)の落札価格の情報は次の画面で6,265,800人民元、日本円にして9,600万円、つまり一億近くで落札されていることが分る。  

 しかし(銅牌飾C)のオークション情報は現在消えて無くなってしまった。このオークション情報だけが消えてしまったのは不思議なことである。
下はオークションでの紹介文で、消える前にコピーして残しておいたものである。以前には、夏王朝の遺跡から出土したものとソックリなもののオークションが、中国語のページには存在したという証拠にもなるが。



 説明にはこのものは1984年に偃師二里頭遺跡(夏王朝の遺跡)から出土した物と、形、紋様、材料が完全に一致していて、只、高さが1.2㎜低いだけなので、同じ工匠によって作られたもののようである、と解説されている。一億円で落札された理由はこれである。


ー4、銅牌飾Dについて

 実は銅牌飾Dは考古学者に知られているもので王青博士の論文に載っている。だから考古学者に知られていないものではない。そして海外に流出しものの3と銅牌飾Dは同じものである。銅牌飾Dは何度もオークションに出品されていた。このものは1991年にエスケナージという中国専門の古物商が持っていた物が1991年にロンドンで競売に出されたようである。更に2011年に香港の嘉徳というオークションに出されようである。更に私が見付けたオークションは2015年の香港のクリスティ―ズの春期オークションである。そのオークションの説明では《中国文物精华大辞典–青铜卷》と《中国文物精华》という本に収録されているもので、図鑑に収録されているものがオークション市場に出品されるのは初めてだと説明されたいた。それで落札予想価格は400万円~600万円になっていた。これは二里頭文化のものと考えていいものだと思う。別の頁から探したのだが、香港佳士得,2015/6/3,Lot3201,二里头时期铜嵌绿松石兽面纹牌饰,H:15.5cm,成交价RMB 9,030,800とあり、実際の落札価格は日本円にすると1億2600万円にもなる。別の頁では落札価格が香港ドルで8,440,000ドルとあったが同じものである。1億円以上で落札されたのはたしからしい。しかしこれが今どこにあるのかは分からない。



ー5、銅牌飾Eについて


 銅牌飾Eは技工的には他の二里頭文化のものと比べると、かなり技工のレベルが低いので、斉家文化のものであることに間違いない。銅牌飾は斉家文化には無いという考古学者の常識からすれば、これも二里頭文化のものとしてオークションに出品されていた。オークション情報では銅牌飾Eは二里頭文化三期のものと書かれているが、 夏王朝の遺跡から出土した人面紋の銅牌飾(下の)は、二里頭文化二期のものでありながら高度の工芸品である。二里頭文化三期ならばこんな銅牌飾Eのような稚拙な技工はあり得ない。だからこれは斉家文化のもので人面紋である。考古学者に知られた15個のうちにも人面紋の銅牌飾が一個だけあるが、それは下の写真の右のものがそれである。斉家文化の人面紋の紋様が二里頭文化に伝播したことを示すものである。銅牌飾を研究する考古学者には是非、銅牌飾Eを研究対象にして貰いたい。斉家文化に銅牌飾は存在する。






 銅牌飾E 二里頭文化三期のもの
と説明されているが?
 夏王朝の遺跡から出土した
人面紋の銅牌飾、二里頭文化


  故宮博物館(台湾)に収蔵されている物

 故宮博物館に収蔵されているものは、Googleで「二里頭文化鑲松石銅牌飾」の言葉で検索してみたら、黃翠梅博士の論文の中にあるトルコ石象嵌の銅牌飾を発見した(私が発見したのは2020年4月14日に発見)。
論文は故宮学術季刊33卷1期 黃翠梅 功能與源流:二里頭文化鑲松石銅牌飾研究(2015年の論文)

 この論文の本文には、「このものは2013年に国立故宮博物館(台湾)に新しく収蔵されたものである。筆者は2014年に便宜をはかって見せてもらうことが出来た、紋様については省略され退化しているようである」と書かれ書かれている。また論文の注には「簡素化された動物の顔のものが、国内外の他のプライベートコレクションにもある」とある。プライベートコレクションにもあるものとは王青博士がニューヨ―クで見た二件で偽物としているものかもしれない。更にこれは前出の2009年に北京でオークション出品されているものと似ている。黃翠梅博士の故宮博物館の収蔵品の技工的レベルの評価は、他の考古学者に知られれているものと同レベルと考えて二里頭文化のものとしているようである。そして紋様について省略化され退化したとも書かれている。これは進化した方向のとらえ方だが、二里頭文化のもののよりもっと前の紋様だと思う。王青博士がニューヨ―クで見た二件は、二里頭文化のものには無い文様で稚拙であると言っているので、それに似ているのであるから二里頭文化のものではない。だから台湾の故宮博物館に収蔵されているものは斉家文化のものだと思う。是非この銅牌飾も研究者に研究して貰いたい。
 

 なお、黃翠梅博士は台湾人の女性で美人でもある。斉家文化にも関心があるようで甘粛省で開かれた斉家文化の研究会にも出席しておられる。

  王青博士によって偽物とされたもの

 下に示す写真のものは、山東大学の王青博士の論文「紐約新見兩件鑲嵌銅牌飾辯僞」にあるもので、表題を訳せば「ニューヨークで新しく見た二件の象嵌銅牌飾を偽物と弁ずる」とでも訳せる。一件は2003年に古物商がニューヨークで開催した中国文化遺物展に展示され二里頭文化のものだと説明を付けられていたのだとか。もう一件は2006年にニューヨークでプライベートコレクションで展示されたものだとか。これらについて王博士はその論文の中で、二里頭文化のものと紋様が似ていない、加工方法が稚拙だ、という理由でこれらを偽物としている。と言うことで王青博士が偽物としたものを他の研究者は誰も研究対象としていない。しかしこの二つのものは故宮博物館(台湾)に収蔵されているものと、紋様や加工方法が非常に良く似ているのである。そして稚拙とも思われる紋様と加工方法が二里頭文化の前の斉家文化のものと考えれば納得できるはずである。ところで黃翠梅博士の論文では故宮博物館に収蔵されているものを二里頭文化のものしていて、偽物だとはしていない。でれであれば王博士がニューヨークで見たものは偽者ではないと考えられる。

王青博士がニューヨークで見て偽物としたもの


 改めて、王青博士がニューヨークで見たもの、北京にオークションで出品されたもの、台湾の故宮博物館に収蔵されているもの、四件を並べてみると、この四件は紋様からして同じグループに属するもので、凹形紋様で二里頭文化のものには無い紋様である。また二里頭文化よりは以前の紋様であると考えられる。従って斉家文化のものと考えていいと思う。

王青博士がニューヨークで見たもの
偽物とされている物
2009年に北京でオーク
ションに出品されたもの
 
故宮博物館(台湾)に
収蔵されている物 


 甘粛省の斉家坪遺跡の近くで出土したもの 

 下は私がは最近(2019年9月)中国語のネット上から発見した銅牌飾である。それをこの中国語のページ(☜クリック)から見つけ出した。それは中国の甘粛省臨夏回族自治州の広河県阿力麻土郷から出土したものである。このものの説明画が書かれていたが「阿力麻土郷出土の斉家文化の銅牌飾は、二里頭文化のものより早期のもので、その芸術、歴史、考古学価値、夏文化の研究において重要な意義があるものである」と書かれている。このものは斉家文化のものであると同時に、夏王朝のものと重要な関係があると書かれている。このとは夏王朝のトルコ石象嵌の銅牌飾のルーツは斉家文化にあることを、明確に示している。甘粛省臨夏回族自治州の広河県は斉家文化地帯のほぼど真ん中である。しかしこの発見が何時の頃なのか定かではないが、未だこの銅牌飾は考古学の論文の登場しないようである。早くこのものを研究の対象として、斉家文化にトルコ石象嵌の銅牌飾があるという結論を出してもらいたい



2019年12月14日に台北のオークションに出されたもの

 またまた考古学者に知られていない銅牌飾を発見(私が発見したのは2020年6月23日)した。台北のオークションで2019年12月14日に売られたらしい。名前が「銅鑲松石掛飾」で銅牌飾ではないのがまぎれもなく銅牌飾である。この紋様も凹形紋様で黃翠梅博士の論文の中に登場するものと同じタイプのもので、二里頭文化にはないタイプのものである。



オークション情報は下をクリック。オークション会社は台湾の台北市のトレジャーアート
https://www.invaluable.com/auction-lot/-1742-c-4f9413385c

 実は上のものと我孫子市のWさんが持っているものとソックリなのである。紋様も技工もソックリで凹形紋様である。下の写真はWさんの収蔵品で、それを手に入れた経過から斉家文化のものと思われる。だから2019年12月14日に台北のオークションに出されたものは斉家文化のものと考えられる。



2019年6月28日にカリフォルニアで競売に出されたもの

 このものが売りに出されたのは最近のことで、2019年6月28日のアメリカのカリフォルニア州ウエストコービナ市である。そしてこれがどこで所蔵されているのかは分からない。だからこの銅牌飾が研究者の研究対処になることは無いのではないだろうか。実はこの変わった形のものがハーバード大学サックラー博物館にもあるのである。だから研究対象にすればおもしろいことが分るのにと思う。例えば、ハーバード大学サックラー博物館のもののトルコ石は小さい方形から構成されている。しかしアメリカで売りに出されたもののトルコ石は大きくて不整形な形である。作られた場所がい画うのかもしれない。



ハーバード大学
サックラー博物館蔵
USA・カリフォルニア州
ウエストコービナ市の
オークション


結論

 私は学者に知れていないとトルコ石象嵌の銅牌飾をネットから沢山探し出した。私の結論としては、考古学者に知られているトルコ石象嵌の銅牌飾のの中にも、考古学者が知らないものの中にも、無いとされている斉家文化の銅牌飾があることがわかった。しかし重要なことは私の結論ではなく、今まで知られていない銅牌飾を考古学者が研究の対象とすることである。そうすれば自ずと私の結論と同じ結論が導かれると思う。考古学者はオークションに出品された銅牌飾などを、早く研究対象にすべきである。その研究とは紋様や技工だけでなく、そのものの出土地を探すべきだと考えるが、それは相当難しい。その殆んどが盗掘品であって出土地が不明であるからである。



以上








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