トップ アイコン 私はアンダーソン土器について世界で一つしかない論文を書いた  トップ アイコン

  私は世界で一つしかない論文を書いた。それはアンダーソン土器とは(☜クリック)である。しかしこれは論文と言えないかもしれないが、「世界で一つしかない」と言う部分は本当で、ホームページに書いたものである。中国の北西地区の甘粛省、青海省あたりから出土するアンダーソン土器について書いたものである。そもそもアンダーソン土器なんて言葉が無かったのに、日本の骨董屋が勝手にアンダーソン土器などと言い出し、アンダーソン土器と言う言葉を作ってしまったので、私の論文(?)はアンダーソン土器についての世界でたった一つの論文になったのである。

 左のものは私の収集品だが、右のものはアンダーソン博士の著書「黄土高原」(昭和17年初版発行、日本語訳あり)に載っていた写真。首のない動物の写真はアンダーソン博士によれば、首の無い蛙だとのこと。1924年頃買い取ったものらしい。

 何故それについて書く気になったかと言うと、ずいぶん前であるが「なんでも鑑定団」の有名な先生があるとき(2009年02月17日放映)、アンダーソン土器を鑑定して、これはアンダーソン土器であり、仰韶(ぎょうしょう)土器とも言うなんて言っていた。アンダーソン土器という部分は正しいが、仰韶土器と言う部分は間違っている。私は長い間中国の北京にいて、アンダーソン土器を集めていて、甘青地区から出土する土器について書いてある中国語の本、「甘青地区史前考古」謝端琚著(2002年11月発行)を買って持っていた。その本を読んでみてもアンダーソン土器を仰韶(ぎょうしょう)土器とも言うなんてことは一つも書いてない。だからなんでも鑑定団の先生の鑑定は間違いなのである。

注1;甘青地区とは中国の甘粛省、青海省のことを言う。
注2;史前考古の史前とは夏王朝の前の歴史を史前というらしい。

 そもそもその本の中にアンダーソン土器と言う言葉は無い。中国語では「彩陶」と言うのである。因みに東京上野博物館の所蔵品の中にあるアンダーソン土器の画像を検索するのに、「アンダーソン土器」では検索できない。「彩陶」というキーワードを使って始めて検索できた。

 アンダーソン土器と言い出したのは、多分骨董屋が彩紋のある中国の土器がアンダーソン博士によって発見されたことを知って、アンダーソン土器と言い出したのだと思う。しかし骨董屋はアンダーソン博士がどの範囲までを発見したのかを知らないと思う。つまりどれとどれとをアンダーソン土器と呼んでいいのかという知識は無いと思う。知っているのは一部のタイプの土器についてアンダーソン博士が発見に係わった土器であるという知識はあると思われる。アンダーソン博士が発見した範囲はネットで検索したも見つからなかった。そこで先に書いた「甘青地区史前考古」を見て調べて、アンダーソン土器の定義についてホームページに書いたのである。

 私のホームページに書いたアンダーソン土器の定義が、世界で一つだけのものなのだが、世界でたった一つだけと誇れるくらいな価値があるかと言うとそれはどうだろうか。そもそもアンダーソン土器という言葉が業界用語で、学術用語ではない。業界用語の定義をしてみても、どれだけの価値があるかと言われるとあまり意味は無いかもしれない。もし「アンダーソン博士が発見した文化について」と言うタイトにするなら少しは学術的価値はあるかもしれない。アンダーソン博士が発見した「文化」については、アンダーソン博士がどの文化を発見したかの記述が日本語の文献には無いらしいからである。もしこの論文(?)が少しは役に立つとすれば、骨董屋の参考になるかもしれない。アンダーソン土器とは、この文化とこの文化に属するものがアンダーソン土器と呼べるものだと言うことが分かるからである。

 実はアンダーソン土器を定義するには「文化」という概念が必要なのである。「文化」とは縄文文化、弥生文化の文化である。アンダーソン博士は沢山の「文化」を発見している。そのアンダーソン博士が発見した文化は

馬家窯文化・馬家窯類型
馬家窯文化・半山類型
馬家窯文化・馬廠類型
斉家文化
卡約文化
辛店文化
寺窪文化
沙井文化

 最初のなんでも鑑定団の鑑定の話に戻るが、アンダーソン博士が発見した文化の中に仰韶(ぎょうしょう)文化は含まれていない。それなのに、これは仰韶(ぎょうしょう)土器とも言いますなんて仰々しく鑑定するのは、アンダーソン博士がどの文化を発見したという知識が、骨董屋には無いからである。あの時(2009年02月17日放映)の鑑定では、これはアンダーソン土器であり、馬家窯文化の半山類型(タイプ)ものですと鑑定すべきであった。

 下の写真は2009年02月17日になんでも鑑定団に出品されたものとよく似たものであるが、私の収集品である。


 因みにではあるが骨董屋的発想から言えば、日本の縄文文化の土器はモース土器と名付けてもよかった。なぜなら縄文文化の土器はモース博士が最初に発見したのだから。

 先にアンダーソン土器は中国語で彩陶と言うと書いたが、アンダーソン土器と彩陶では同じ意味ではない。同じ意味ではないどころか全く違う。前者はアンダーソン博士が発見したという意味であり、後者は彩紋のある陶器のことを言っている。アンダーソン博士が発見した土器の中には無紋のものも有る。彩紋のある陶器であってもアンダーソン博士と関係が無いものも多い。しかし両者の言葉の間にはかなりの部分の共通項があって、アンダーソン博士が発見した物の多くは彩がある。彩陶といえば、アンダーソン博士が発見したものが多い。彩陶といえばそれは「陶器」について言う言葉ではないかと指摘されそうだが、中国には土器と言う言葉が無く、陶器の中に土器も含まれるのである。

 因みに中国の骨董屋は、アンダーソン土器を売る場合、馬家文化の壺とか斉家文化のものとか、文化年代を言って売っている。日本の骨董屋ではそんな鑑定は出来ないと思うが、私が書いたものを「アンダーソン土器とは」と入力して検索すればアンダーソン土器についての知識を得る参考になると思う。実はアンダーソン土器だと断定するには、鑑定するものがどの「文化」に属るるかをまず最初に判別しなければならない。例えば仰韶文化の土器と鑑定したらそれはアンダーソン土器ではない。斉家文化の土器だとなれば無紋の土器であってもアンダーソン土器である。斉家文化はアンダーソン博士の発見した文化だからである

 アンダーソン博士の発見した文化で一番良く知られているのが馬家窯文化であるが、馬家窯文化の物であるからアンダーソン土器とは限らない。
チョットややこしいが馬家窯文化には四つの類型(タイプ)がある。一番古いタイプが石嶺下類型(タイプ)であり、このタイプはアンダーソン博士の発見したものではない。(他の三つのタイプは上に書いてある)それならどの様なものが馬家窯文化石嶺下タイプの土器かと知るには、日本の資料では調べようもないと思う。私の論文(?)を見ても、馬家窯文化・石嶺下類型の土器は、残念なことに買えなかったので載せてない。

 ここまで書いた疑問に思ったことがある。ネットオークションなどでアンダーソン土器の写真を探してみると、が無いアンダーソン土器は無く、彩紋のある土器だけがでてくる。なんでも鑑定団の先生に聞いてみたいのだが、アンダーソン土器とはがある土器だけを言うのだろうか? アンダーソン博士は「斉家文化」を発見しているのだが、斉家文化の土器には無紋の土器のほうが多い。斉家文化の土器であっても紋様の無い土器はアンダーソン土器と言わないのかのだろうか?

 因みに中国語でいう「彩陶」には無紋のものは含まないのだろうか? 「甘粛彩陶」という図鑑を持っているのだがそれを見ると、それには紋様の無い斉家文化の土器は載っていなかった。斉家文化は甘粛省の文化であっても、紋様の無い土器は「甘粛彩陶」とは言わないようである。彩陶とは言葉の通り彩紋のある陶器、いや土器のことを言うらしい。紋様の無い斉家文化の土器についてであるが、斉家文化には無紋の土器が多いはずなのに、中国の骨董屋ではそのような土器をあまり見なかった。やはり紋様が無い物は、骨董的価値が無く、日本にも入って来ないのではなかろうか。

 ところで骨董屋の皆さん、特にアンダーソン土器を扱っている皆さんに対してですが
次の質問をします。下の寫眞の内、どれがアンダーソン土器で、どれがアダーソン土器ではないかを鑑定してください。次にその土器が属する文化年代も鑑定もしてください。

各々の土器の文化年代が分からない場合は下を参考にしてください。

アンダーソン土器のコレクション
馬家窯文化
馬家窯タイプ
馬家窯文化
半山タイプ
馬家窯文化
馬廠タイプ
斉家文化
辛店文化
アンダーソン土器以前
の6000年前の土器




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