夏王朝の遺跡(二里頭文化)から国宝級のトルコ石象嵌の銅牌飾が三個だけ見つかっているが、そのトルコ石象嵌の銅牌飾は二里頭文化で初めて出来上がったとうのが、今の考古学界の通説である。しかし斉家文化には既にトルコ石象嵌の銅牌飾が存在した。下は夏王朝の遺跡から見つかった三個のトルコ石象嵌の銅牌飾である。 例えば、陳国梁氏の2017年の論文「二里頭文化嵌緑松石牌飾的来源」によれば、鋳銅の技術、紋様、象嵌の技術、などが二里頭文化に集結して、始めて象嵌のある銅牌飾が出現したというのである。下は陳国梁氏の論文の中にある図であるが、銅牌飾を構成する技術や紋様が二里頭に集まってきて、始めて二里頭で銅牌飾が出来上がったことを示している。ここには斉家文化の名前は全く出てこない。しかしアモイの上古文化芸術館の展示には、斉家文化のものと説明のある象嵌のある銅牌飾と玉器が沢山展示されている。 アモイの上古文化芸術館には斉家文化の青銅器の象嵌品1個と玉器の象嵌品4個が展示されている。そして斉家文化の象眼技術についての説明パネルまである。これを見れば斉家文化で象嵌技術は完成していて、斉家文化に銅牌飾もあったことが分かる。しかし玉器や青銅器を研究する研究者はここの展示を知らないらしい。研究者がここの展示を知らないは非常に残念なことである。私の説「斉家文化には完成した象銅技術が完成していて、斉家文化に銅牌飾は存在していた」を信じて貰えないからである。 アモイにある上古文化芸術館の斉家文化の玉器と青銅器の展示品 アモイにある上古文化芸術館の斉家文化のものの展示は、青銅器の象嵌品1個と玉器の象嵌品4個の展示がある。 上の展示の背景には高度な斉家文化の象眼技術についての説明が書かれている。これを見れば斉家文化で高度な象嵌技術が完成していたことが分かる。その説明パネルの拡大写真が下で、上古玉文化探究之三:齐家文化 その説明には「斉家文化の玉器に現れた象嵌のトルコ石や宝石の、このような工芸には人は驚かざるを得ない。通常玉器の表面に溝を作りそこに不規則な宝石をはめ込み、その輪郭で紋様を構成している。玉器に嵌め込まれたトルコ石は隙間のない縫い目のようなり、密着していて、数千年たっても脱落が無い。このような工芸には驚くばかりである」と書かれていて、象嵌技術が斉家文化で完成していたことがはっきりわかる。 上の5個の展示品についての拡大写真と説明 展示品の一番左のものは玉琮の形をしていてる玉器である。玉琮とは縦方向に丸い孔を穿った筒形の玉器で、長江下流の良渚文化で生まれた玉器であるが、何千キロも離れた内陸部の斉家文化まで伝播した。これについてもトルコ石の象嵌があって、斉家文化のものと説明がある。説明のラベルに「人首紋」とあるが、これは牛か羊の獣面紋だと考えられる。後に示すが二里頭文化の獣面紋の祖型となる紋様である。 左から二番目の仮面のような面具とされる玉器も斉家文化のものである。象眼するものには赤い石や白いものあるのだが、目の部分と歯の部分に白い貝が嵌め込まれているように見える。もしこれが海産の貝であったりすれば、中国の海岸部と内陸部との交易があった証拠になる。(桜貝などは中国の南海から奥地に運ばれていた例がある) 左から三番目の黒い玉の土台に象嵌のある玉人像である 左から四番目は夏王朝の銅牌飾とソックリな青銅器がある。盾形の外形、人の顔、トルコ石の象眼、4つの耳穴など、夏王朝の銅牌飾とソックリである。前出の陳国梁氏の論文には、斉家文化には無いとされているトルコ石象嵌の銅牌飾がここには斉家文化のものとして展示されている。この展示では、斉家文化と二里頭文化の銅牌飾における関係を明確に示している。 一番右のものは玉璧(ぎょくへき)と言われるもで、象嵌のある玉璧である。中国の考古学者で、象嵌のある玉璧を見たことがある人はいないかもしれないが(考古学的に発掘された玉壁には象眼のあるものが殆どない)、象嵌のある玉璧が斉家文化のものとしてアモイの上古文化芸術館に展示されている。 しかしトルコ石の象嵌についての論文では、斉家文化のトルコ石の象嵌品はほとんど出てこない。下は秦小麗先生の論文「黄河流域におけるトルコ石製品の生産と流通」(金沢大学区、国際資源学研究センター)に登場する玉璧の象嵌品の写真だが、小さいトルコ石を埋め込んだ玉璧が数点あるに過ぎない。しかも斉家文化のものは見当たらない。しかしアモイの上古文化芸術館にはトルコ石がビッシリと象嵌された玉璧が斉家文化のものとして展示されている。 夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾の人面紋と獣面紋の紋様のルーツは斉家文化にある 夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾の紋様のルーツは、斉家文化の人面紋と獣面紋であることを、アモイの古文化芸術館の展示品で、如実に表している。下を見れば斉家文化の人面紋が、二里頭文化の人面紋の銅牌飾に変化したことが明らかに分かる。中国の論文では「龍」が 夏王朝(二里頭文化)の銅牌飾のルーツだとする説(朱乃誠2021「二里頭緑松石龍の源流」『中原文物』)があるが、龍などの抽象的なものではなくて、人の顔と角のある動物の顔がるルーツ゚なのである。
上の二つの銅牌飾の間に、私の収集品を並べてみれば、夏王朝の獣面紋の銅牌飾のルーツは、斉家文化にあることがよく分かる。そのルーツは斉家文化の角のある動物の首である。
このように夏王朝の銅牌飾のルーツは斉家文化にあることを私は証明できるのだが、甚だ遺憾なことは、アモイの上古文化芸術館に斉家文化のものが展示されていることに、考古学者は気が付いていないようなのである。それで学説では斉家文化にはトルコ石象嵌の銅牌飾は無いことになっている。甚だ遺憾なことである。 ここまででアモイの古文化芸術館に展示されている5個の象眼のある玉器と青銅器を紹介したが、他にも斉家文化の象嵌された玉器が展示されている。それが下の4個の写真で、いずれも斉家文化のものとして展示されている。
尚、アモイの上古文化芸術館にある斉家文化のものは、私の収集品にも似たものがある。殆ど同じ形のものもある。
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