斉家文化にはトルコ石象嵌の銅牌飾とそっくりな玉器が存在する。
このことは斉家文化だけの特長である


 夏王朝の「トルコ石象嵌の銅牌飾のルーツは斉家文化にある」という説を言っている根拠は、斉家文化には夏王朝のそれとよく似たものが存在するからである。更に斉家文化には青銅器ではなくて玉器にもソックリなものが存在する。青銅器と玉器とでソックリなものが存在する文化は斉家文化の特長である。

 夏王朝(二里頭文化)のトルコ石象嵌の銅牌飾には人面紋と獣面紋とがあるが、夏王朝(二里頭文化)の人面紋はたった一つしか見つかっていない。そのたった一つしかない夏王朝の人面紋とそっくりものが、斉家文化には沢山(私の収集品だが)ある。それを左から右に並べてみれば、二つの文化のものがよく似ていて、なおかつ斉家文化の中で象嵌や鋳造の技術が進歩していき、二里頭文化(夏王朝の)の華麗な芸術品となったことがよくわかるはずである。しかし考古学者の多くは斉家文化に銅牌飾は無いとしている。それは考古学者が私の収集品のようなものを見たことがないからだろう。私が集めたものは考古学者が見たこともないほど珍しいものなのだが、これらを考古学者に見せれば、斉家文化にも銅牌飾が存在することのを信じて貰えるだろうか。

    斉家文化の人面紋 (私の収集品) 👉
伝播の
方向
 二里頭文化
夏王朝遺跡から出土

 上は青銅器である。下は玉器(ぎょくき)である。両者に同じモチーフ(人面紋)、同じ技法(象嵌)の牌飾が多数存在する。玉器を大量に作り出した文化は、中国北西地区では斉家文化しかありえない。だからこれらの玉器は斉家文化のものであり、人面紋の青銅器も斉家文化のものである。下は斉家文化の玉器




 
下の写真では斉家文化の人面紋の玉器と青銅器とを並べ、更にその右に夏王朝(二里頭文化)の人面紋銅牌飾を並べたが、斉家文化から二里頭文化へ人面紋の銅牌飾が伝播したことがよくわかる。
     斉家文化(私の収集品)   二里頭文化
(夏王朝遺跡出土)
玉器 青銅器  
 

 
獣面紋のトルコ石象嵌の銅牌飾も同様にモチーフと技法が斉家文化の中で進歩し、斉家文化から二里頭文化へ伝播した過程 がよく分かる。 獣面紋においてはそのものモチーフの起源は斉家文化の羊にあるのではないかと考えられる。斉家文化は羌族(きょう族)の文化だっと言われている。羌の文字には角があり、羌族は羊を飼っていたと言われている
斉家文化の獣面紋(私の収集品、青銅器)     二里頭文化
(夏王朝)

 このように斉家文化には、青銅器にも玉器にも、人面紋であっても獣面紋であっても、紋様(モチーフ)、技法(象嵌)に同じようなものが存在する。そして斉家文化の素朴な紋様から、二里頭文化の華麗なトルコ石の象嵌の銅牌飾まで継続し発展している。二つの文化のものの間には、工芸技術にはかなりの差があるが、トルコ石などで象嵌がされていること、外形が盾形であること、盾形の外側に四個の耳があることは一貫して変化がない。これこそ斉家文化から二里頭文化へトルコ石象嵌の銅牌飾が伝播したことを示している確実な証拠である。その点からも「夏王朝の盾形銅牌飾のルーツは斉家文化にある」ということの証明になる。

 改め斉家文化の人面紋の玉器と青銅器でソックリなものを並べてみれば、紋様も技法もソックリであることが分ると思う。しかし古古学者の多くは斉家文化に青銅製の牌飾が有ると信じている人が少ないのだから、玉器にも同じ形の牌飾が在ることなど信じられないかもしれない。しかし現実には青銅器にも玉器にトルコ石象嵌の牌飾は存在するのである。
 人面紋の牌飾で玉器  人面紋の銅牌飾で青銅器


 人面紋の初期の紋様と思われるものについても、玉器と青銅器でソックリなものが斉家文化に存在する。
人面紋の牌飾で玉器  人面紋の銅牌飾で青銅器

 獣面紋の初期のものについても、玉器と青銅器でソックリなものが斉家文化に存在する。素材は二つとも同じ物のように見えるが片方は玉であり、もう一方は青銅である。紋様も技法もソックリ。この両者は同時期に同じ工房で作られたとしか考えられない。

 獣面紋の牌飾で玉器 獣面紋の銅牌飾で青銅器

 盾形の牌飾ではなくても、玉器と青銅器でソックリなものが斉家文化に存在する。下の鹿のモチーフはデフォルメの方法もソックリ。但し大きさはかなり違いう。玉器はかなり大きいが青銅器では小さい。大きさの違いは素材の点から見れば青銅を沢山用意するのは難しいが、玉(ぎょく)の素材であれば大きいものが用意できたのだろう。
鹿を模った玉器
高さ42㎝
 鹿を模った青銅器
高さ17㎝


殆ど同じ大きさの玉器と青銅器鹿の鹿
鹿を模った玉器
 鹿を模った青銅器


同じ鹿でもちょっとデザインが違う。それでも下の玉器と青銅器はソックリ
玉器
 青銅器
高さ14㎝


 斉家文化の青銅器と玉器でこれほどソックリナものがを集められたのは自分でも不思議である。青銅器と玉器とで同じ形状、同じ芸手法のものをこれほどのコレクターはいないのではないかうのだが。





トルコ石象嵌のある玉器を沢山集めることが出来た
 斉家文化は玉器が沢山出土する文化であるが、象嵌のある玉器は殆んど出土記録にない。骨董屋の店先にも殆ど並ばない。そんなめったにない象嵌のある玉器を集められたのは、特別の売人との繋がりがあったからである。そいったことからトルコ石象嵌のある玉器はとても珍しいものである。斉家文化の玉器には外の文化かラ伝わった形が多く、円盤に中央に穴のあるものは璧(へき)と言われ、長江下流の良渚文化から伝わった。また四角の立方体の中に円筒の穴が開いている形は琮(そう)と言われ、これも良渚文化文化から伝わった。銅牌飾はハミ天山北路墓地遺跡から斉家文化に伝わったのだが、青銅ではなく玉器の形にもなった。

下は玉璧


下は玉斧


下は四連璧
フレーム フレーム
壁を四分割したもので、四連璧と言うらしい。紋様は魚なのか? 魚にして奇妙な形である。四連璧の各パーツには、細い紐通しようの穴が明けれあり、お互いがバラバラにならないように結び付けたらしい。 こちらは人の紋様の四連璧。こちらにも紐通しようの穴が明けてあるが、金属工具がない時代でも細い穴を明けることができた。直径33cm




円形と中央の円形の穴のある形を璧という。完璧の壁である。

フレーム フレーム
魚のような絵が二匹裏表に象嵌されている。石は黒く見えるが、後から光を当てると、半透明な玉であることが分かる。直径17cmくらい この形が璧である。斉家文化の人々は羊を養育していたのかもしれない。羊の角のデザインのように見える。直径20cm

フレーム フレーム
この璧にも魚と珠のような象嵌のデザインがある。
直径20cm。

小さい璧。薄さが2mmくらいなのでやはり光りが透ける。石の粉のようなもので人、三日月、星のような象嵌がされている。6cmぐらい


四角と円筒を組み合わせた形は琮(そう)という形の玉器で、長江下流の良渚文化から黄河上流の斉家文化に伝播したたものである。玉で出来ているので玉琮(ぎょくそう)と言われる。


フレーム フレーム
“琮(そう)”にはもっと大きくて、この形が連なり、
1mにもなるものもある。当然大きいものは持って帰れないので買わなかった。
人や太陽のような紋様があるが、これはトルコ石の粉を練りこんで、象嵌したように見える。


フレーム フレーム
斉家文化の琮(そう)には、普通紋様がないが、象嵌がされた琮に、稀にある。人の顔と月と太陽の紋様か
この琮(そう)には紋様が無いが、斉家文化の琮の大部分は、紋様も象嵌もないものが普通である。


以下形状は他の文化から伝播したものではなく、斉家文化で発生したものだと思う
フレーム フレーム
蝶々 両端の上に紐通し用の穴がある。首飾りであるらしい


後ろから光を当てて透明な部分が玉(ぎょく)である。嵌め込まれたトルコ石は不透明である。

フレーム フレーム
想像上の動物か? 上に紐通しようの穴が二つあるから、首に架けたものかもしれない。このデザインは後に出てくる人面の牌飾の原型のようにも見える。 左の物に、裏から光を当ててみた。玉(ぎょく)の部分は半透明で光が透けて見える。











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