今から約4000年前、中国甘粛省の臨夏市あたりに、石にトルコ石を嵌め込んでモザイクを作る文化があった。その文化を斉家文化と言うが、斉家文化は大量の玉器を作った文化であることで知られている。玉(ぎょく)を使った「玉壁」とか、「玉j」とか、「玉刀」とかが盛んに作られた。それらの形は、遥か西にある揚子江下流の良渚文化から、西の甘粛省の斉家文化にまで伝わったものである。一方、反対側の遥か西のほうからは、銅や象嵌の技術が伝わってきたらしいが、斉家文化は中国で銅鏡が初めて作られ、象嵌の技術も中国で初めて現われた文化である。しかし斉家文化の晩期に、トルコ石の素晴らしい象嵌品が作られたことはあまり知られていない。


象嵌の多くはトルコ石が使われている。鹿の方は5個のブロックに分かれている。紐通しの穴は元々のものではなく、最近になって誰かが明けたもの。かなり大きく、高さ41cmもある。4000年前のものでありながら、形がすばらしい。デフォルメされた鹿の角、山羊の角。体に躍動感が溢れている。芸術的な香りがしないだろうか。



最近買ったもの。トルコ石以外にいろいろ石の象嵌がある。額に入れて飾ってもいいかなと思って買ったもの。高さは左から19.0cm、17.8cm、19.6cm。





この丸い形が「璧」と言われる物で、「璧」は完璧の「璧」である。中国には石器時代からの伝統的な礼器があって、それぞれに名前が付いている。「璧」は本来、玉を材料にして作られるから玉璧と言われる。玉璧が作られ始めたのは太湖の辺りにあった良渚文化(5300-4000年前)であって、それが甘粛省の斉家文化にまで伝わった。又、元々の「璧」は表面に模様が無く、象嵌なども無かった。四つに分割もされていなかったが、上のような物は斉家文化特有のものである。石が彫り残されている部分が人物像となっている。四つに分かれいるので四連璧といわれる。各々の隅に紐を通す穴があるが、これは元々からあったものらしく、古代人は紐で結んで連結したらしい。トルコ石象嵌の四連璧である。直径33cm。


下の形のものを牌飾と言う。この牌飾の特徴は盾形、トルコ石の象嵌、丸い目の人面紋である。さらに斉家文化には盾形の牌飾までも存在していた。
12,5cm、石を穿ちそこにトルコ石を嵌め込んだもの。
収蔵品。斉家文化。
これは単なる人の顔なのか?
14.2cm、石を穿ちそこに赤い石を嵌め込んだもの。
収蔵品。斉家文化
これは人面紋の始まりか?
13.8cm、トルコ石象嵌獣面紋
青銅牌飾。中国の青銅は斉家文化に初めて表れた。
収蔵品。これも人面紋。



ぎょく(玉)にトルコ石で象嵌したもの。ぎょくだから半透明で、後ろから光を当てると透けて見える。 透明なところが玉。透明ではないところが、
トルコ石。



斉家文化のトルコ石象嵌飾りは、現在でも殆ど存在を知られていない珍しいものである。斉家文化の末期に表れて、短い期間に、限られた地方で作られたものらしい。そもそも斉家文化が栄えた期間は短く、その文化を担った人達はどこかに消えてしまった。黄河上流のさらに支流(甘粛省の南辺り)に栄えた文化である。

人がたのトルコ石飾り。斉家文化の玉器の分類の中に玉神器という分類があってそ、れによれば、その大部分はトルコ石で象嵌された玉とか石の人物像であって、男女の別があり裸体であると書かれている。他に見たものも、頭に髷のようなものを結ってるが、全部が裸体であった。何故、玉神器と言うものが裸体の人物像なのか分からないが、上のものは玉神器という物であるらしい。左、30cm、右25cm。


黒い石にトルコ石の象嵌。
近代的なデザインである。
鳥か蝙蝠か想像上の動物か?
4000年前の芸術品?




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