想像上の動物か? 上に紐通しようの穴が二つあるから、首に架けたものかもしれない。このデザインは後に出てくる人面の牌飾の原型のようにも見える。 | 左の物に、裏から光を当ててみた。玉(ぎょく)の部分は半透明で光が透けて見える。 |
“完璧”の“璧”を漢字で書けるだろうか。そして“ヘキ”とはどんな意味か知っているだろうか。完璧のヘキの字は“璧”であって“壁”ではない。
“璧”とはどんな形のものか。円盤状の玉(ぎょく)の中央に円孔を穿(うが)ったもので、身分を表すお宝、祭祀用具、装飾、古墳副葬品などに用いられた。“璧”多くは玉でできているから玉璧(ぎょくへき)という。 中国の戦国時代の話である。趙の恵文王が、楚から“和氏の璧”という宝玉を手に入れた。ところが秦の昭王はその 璧を欲しがり、15の城と交換しようと申し入れた。そこで藺相如と言う人物が“和氏の璧”を持って秦に行くことにした。秦に行ってみると秦の昭王は約束を守りそうな様子がない。それで藺相如は“璧”を昭王から取り返し、璧を趙王のもとに無傷のまま、届けることに成功した。つまり“玉璧”を完璧な形で取り戻すことができた。“完璧”とは、もともと「璧(へき)を 完(まっと)うす」から来ており、これが“完璧”の語源なのだそうである。 上の話に登場するのが“璧”で、円盤の中央に大きな孔がある円盤である。上の話は中国の戦国時代の話で、B.C270とかB.C260年の頃の話である。しかし“璧”の起源は古く、長江下流の良渚文化に起源があり、それはB.C3000年頃のことであった。良渚文化の壁にはトルコ石の象嵌がなかったが、それが1600kmもの遠隔地の斉家文に“伝わり、象嵌の技術と出合って、トルコ石象嵌の玉壁ができたのである。収集したトルコ石象嵌の玉壁は斉家文化のものであるから、B.C1800年頃のものであるかもしれない。しかし“璧”はそれよりずっと以前から存在した聖なる形なのである。 尚、中国の戦国時代の“和氏の璧”は、形は同じでも半透明の軟玉に、細かい彫刻が施されたものであって、下の写真のようにトルコ石の象嵌はなく、原始的な紋様でもなかったと思われる。 上の話に登場するのが“璧”で、円盤の中央に大きな孔がある玉の円盤である。上の話は中国の戦国時代の話で、B.C270とかB.C260年の頃の話である。しかし“璧”の起源は古く、長江下流の良渚文化に起源があり、それはB.C3000年頃のことであった。良渚文化の壁にはトルコ石の象嵌がなかったが、それが1600kmもの遠隔地の斉家文化に伝わり、象嵌の技術と出合って、トルコ石象嵌の玉壁ができたのである。収集したトルコ石象嵌の玉壁は斉家文化のものであるから、B.C1800年頃のものであるかもしれない。しかし“璧”はそれよりずっと以前から存在した聖なる形なのである。 尚、中国の戦国時代の“和氏の璧”は、形は同じでも半透明の軟玉に、精巧な細かい彫刻が施されたものであって、より洗練されたものであったと思われる。下の写真のようにトルコ石の象嵌はなく、原始的な紋様でもなかった。下の写真の璧は新石器時代晩期の斉家文化の璧である。 |
魚のような絵が二匹裏表に象嵌されている。石は黒く見えるが、後から光を当てると、半透明な玉であることが分かる。直径17cmくらい | この形が璧である。斉家文化の人々は羊を養育していたのかもしれない。羊の角のデザインのように見える。直径20cm |
この璧にも魚と珠のような象嵌のデザインがある。 直径20cm。 |
小さい璧。薄さが2mmくらいなのでやはり光りが透ける。石の粉のようなもので人、三日月、星のような象嵌がされている。6cmぐらい |
壁を四分割したもので、四連璧と言うらしい。紋様は魚なのか? 魚にして奇妙な形である。四連璧の各パーツには、細い紐通しようの穴が明けれあり、お互いがバラバラにならないように結び付けたらしい。 | こちらは人の紋様の四連璧。こちらにも紐通しようの穴が明けてあるが、金属工具がない時代でも細い穴を明けることができた。直径33cm |
下の写真のような形もまた聖なる形で、長江下流の“良渚文化”から黄河上流の斉家文化に伝わった“j(そう)”である。円筒と正方形の立方体を組み合わせた形である。円筒を通じて天神と地の神を呼び寄せたとか言う解釈もあるが、本当のことは分からない。しかし祭事に使われ、身分の高い人だけが持てたものであることは確からしい。墓の副葬品としても多数出土する。本当のところは何に使われたかはわからないのだが、“j(そう)”や“璧(へき)”は礼器と言われる分類に属して、何らかの祭事に使われたものと思われる。 “璧”と同じく、良渚文化の“j”にはトルコ石の象嵌がなかったが、遥か1600kmの遠隔地の斉家文に“j”が伝わり、象嵌の技術と出合ってトルコ石の象嵌の“玉j”ができた。トルコ石の象嵌がある“j”は、斉家文化特有のものる。 |
“j(そう)”にはもっと大きくて、この形が連なり、 1mにもなるものもある。当然大きいものは持って帰れないので買わなかった。 |
人や太陽のような紋様があるが、これはトルコ石の粉を練りこんで、象嵌したように見える。 |
斉家文化のj(そう)には、普通紋様がないが、象嵌がされたjに、稀にある。人の顔と月と太陽の紋様か |
このj(そう)には紋様が無いが、斉家文化のjの大部分は、紋様も象嵌もないものが普通である。 |
下の写真のような人の形は神なのか? 斉家文化の玉器の分類の中に、玉神器という分類があって、それによれば、その大部分は石の人物像とか、トルコ石で象嵌された玉の人物像であって、男女の別があり裸体であると書かれている。頭に髷のようなものを結ってるが、確かに全部が裸体である。髷の結い方で男女が分かるのかもしれないが、何故玉神器と言われるのか、何故裸体の人物像なのか分からない。しかしこの人形は玉神器と言われるものであるらしい。 |
かなり大きく、高さ30cm。全身が5つの部品に分割されている。各パーツに穴があり紐で結び付けられる。 | 高さ25cm。これも5つの部品に分割されている。トルコ石の部分は風化が進み少し脱色されている。 |
これは全身が7つのパーツからなる。象嵌された石は正確に言えばトルコ石ではないかも。 | これは小さい人形で、分割されていない。 |
これは玉神器と言われるものの初期の物かもしれない。目と脇の下、股の所だけにトルコ石の珠がはめ込んである。 |
様々な形の人がた。様々にデフォルメされている。土台の石も、嵌め込む石も様々で、トルコ石だけを象嵌するとは限らない。 |
人の顔の左右に耳のようなものが計4つある。これは下に載せた人面紋牌飾の原型のように思える。 | 真ん中に穴がある。このような形式の玉器を何と言うのか? 名前があったような気がする。 |
動物を模った玉器もいろいろある |
魚 | 羊 |
鹿 | こうもりか? |
五つの部品からなる鹿 | 不思議な動物。想像上の動物か |
下のものは高度に発達した斉家文化晩期の象嵌であるらしい。 象嵌の技術が素晴らしく華麗な芸術品である。 |
蝶々 | 両端の上に紐通し用の穴がある。首飾りであるらしい |
人面紋または獣面紋の牌飾。盾形で左右四個の耳のようなものがある。この形は夏王朝の盾形銅牌飾のルーツだと考えられる。斉家文化の牌飾と夏文化の銅牌飾の関係については別のところで詳細に書いた。 |
これはどう見ても人の顔 |
人の顔がだんだん変化して夏王朝の盾形銅牌飾に近づいた |
眉毛は×印、目は丸い。左右の四つの耳に紐通しの穴が明いている | 眉毛は×印、目は丸い。目の下が変化している。左右の四つの耳にはやはり紐通しの穴がある |
獣面紋の牌飾 , |
トルコ石が細かいので、象嵌方法が進歩してからのものかもしれない |