日本にもあった夏王朝の秘宝 

正月(2013年)に暇なので「牌飾」(はいしょく)という単語を入力し検索してみたら、
華麗な「銅牌飾」の写真を見つけた。これを「何でも鑑定団」が鑑定したら
どれくらいの金額になるだあろう。もし鑑定師がこの物が夏王朝の秘宝と
言われる銅牌飾とソックリであることを知っていれば莫大な金額になるはずである。
しかし「何でも鑑定団」にはこの物についての考古学上の知識は
無いだろうからびっくりするような金額にはならないだろう。

その物はMIHO MUSEUM(ミホミュージアム)という博物館が所有するもので、
トルコ石の象眼があり盾形の外形をしていて、牌飾または銅牌飾と言われるものである。
MIHO MUSEUMの説明書きによれば、この物が夏王朝の銅牌飾と関係が
あることには気づいていないようである。私はこの写真を見て、夏王朝の銅牌飾とソックリであることに
気が付いてびっくりしたのだが、そのことを知っているは日本では私一人かも知れない。



上の写真は下のアドレスをクリックすれば見える。

http://miho.jp/booth/html/artcon/00001394.htm
牌飾の拡大写真は下のアドレスで見える。
http://miho.jp/booth/html/imgbig/00001188.htm

MIHO MUSEUMの所有する牌飾が、夏王朝の秘宝とソックリであるならば、
MIHO MUSEUMが所有する牌飾もまた夏王朝の秘宝だと当然考えられるのである。


夏王朝の牌飾は貴族の墓からたった三個だけ、個別に出土した。以下の写真がそれである。
MIHO MUSEUMの牌飾は、このうちの右側の物にソックリである。
ソックリと言ってもMIHO MUSEUMの物は龍の鱗のような部分が五段、
夏王朝の物は四段の違いがあるが。
夏王朝とは中国の最古の王朝であって、伝説上の王朝と言われたいたのだが、
宮殿跡が発掘されて夏王朝は本当にあったことが確認された。


夏王朝の遺蹟からは銅牌飾は三個しか発見されていない。そしてこのトルコ石の象眼のある
盾形の銅牌飾は次の殷王朝には伝わらなかった。その意味でも非常に珍しい意匠、
デザインなのである。この三個は考古学の発掘品であって宮殿跡から出土した物で
あるから、夏王朝の秘宝であることははっきりしている。そして三個の銅牌飾は
右のものがBC1700年位の物、中央と右のものBC1600年位のものと考古学的に確定している。

一方MIHO MUSEUMが所有するものは、どこから出土したものなのか。
MIHO MUSEUMの説明をそのままコピーすると次のような説明がある

名称   はいしょく
牌飾
産地 中国 伝河南省
時代 二里頭文化
制作年 前1700-前1500年頃
素材 青銅、トルコ石、木、布または麻
寸法 H-15 W-8.5

産地は伝河南省とあり、「伝」と付いているから出土した場所は分からないのだと思うが、
河南省だと推測されるものなのだろう。河南省は夏王朝の宮殿が発掘されたところである。
そして時代は二里頭文化。二里頭文化とは夏王朝の時の文化でああって、
二里頭文化の三期、四期から夏王朝の宮殿が発掘されている。
制作年代はBC1700~BC1500とあるから、夏王朝の時代、場所とピッタリ一致する。
夏王朝の三個と同じである。その地方その時代にあった王朝は
夏王朝以外には無いのだから夏王朝の物であることは間違いない。
MIHO MUSEUMが所有するものは、多分夏王朝の支配者の墓から出土(盗掘された?し)たものだろう。

MIHO MUSEUMは、所有する牌飾を制作年代がBC1700~BC1500だとしている。
どうしてBC1700~BC1500だと推定したのだろう。まさか放射性炭素年代測定
までして調べたのではなかろう。二里頭文化から同じような牌飾が出土しているのを知っていて
制作年代を推定したのかもしれない。そうであればMIHO MUSEUMはその所有するものが、
夏王朝と関係がある位の事は知っているのかもしれない。

ところで夏王朝の三個の銅牌飾は、本当に夏王朝の
秘宝とまで言われるものなのか。
上の夏王朝の三個の写真の中の、
中央の牌飾が、2010年に東京国立博物館の
「誕生中国!中国文明」展に展示された。そしてそのパンフレットには牌飾の拡大された写真が載っていた。


また2012年に同じく東京国立博物館で開催された「中国王朝の
至宝展には、上の写真の
三個のうちの左側の物が展示された。であるから夏王朝の牌飾は「至宝」であることは間違いなく、
中国最初の王朝である
夏王朝の秘宝と言っても過言ではないのである。
私は夏王朝の三個の銅牌飾のうち二個の本物を日本で見た。
しかしMIHO MUSEUMの物とソックリなものは見ていない。




ところでMIHO MUSEUMはどうやって夏王朝の秘宝級のものを手に入れたのだろうか。
ウィキペディアによれば、「MIHO MUSEUMのコレクションは、神慈秀明会の会主・
小山美秀子のコレクションを展示するため、1997年平成9年11月に開館。
ギリシア、ローマ、中近東、中国、日本など、幅広い地域と時代に渡る
優品2000点以上が含まれている。コレクション形成に数百億円をかけたともいわれ、
日本にある私立美術館のコレクションとしては有数のものである。」と書かれている。

実は、私はMIHO MUSEUMに夏王朝の銅牌飾と似たものが在ることを前から知っていた。
中国にいたとき
斉家文化の牌飾(銅のものも玉のものも)を沢山買い集めたので、
夏王朝の銅牌飾についてもいろいろ調べたのである。そして中国山東大学の
王青教授の書いた論文に依れば、盾形の銅牌飾は全部で16個しか確認されておらず、
そのうち中国に残されているのは7個だけで、後の9個は海外に流出してしまって
いるのである。その流出先の一つが日本のMIHO MUSEUMというわけである。

私はMIHO MUSEUMに夏王朝の銅牌飾と似たものが在ることを知っていたが、
今年の正月にMIHO MUSEUMのページで写真を見るまで、これほどソックリであり、
また華麗なものとは知らなかった。日本に夏王朝の秘宝級のものが在るとは
思わなかったのである。

なお、MIHO MUSEUMのコレクションは素晴らしいらしいのだが、
MIHO MUSEUMはどうやって夏王朝の秘宝と思われるものを手に入れたのだろう。
神慈秀明会の元信者の人の話としてこんな話が載っているのを見つけた。

  神慈秀明会の会主・小山美秀子のコレクションを展示品は、確かに小山美秀子が集めたものではあるが、その大部分は、「美術館を建てながら、その美術館に展示するものをその期間中に集めた」ものなのです。「小山美秀子のコレクションを展示するために建てられた美術館」ではないんです。だから、MIHO MUSEUMを見て、「小山美秀子のコレクションはなんてすごいんだ。」と思うのは、なんというか、「すごい」という言葉を向ける先が少しだけ違うように思います。「わずか5、6年の建築期間の間に、なんてすごいものが集まったんだ。」というほうが、正しく表現された「すごい」の使い方のように思います。いくら小山美秀子の審美眼が高いとしても、それだけでは、5、6年の間にこれらのものは集まらないでしょう。 

ならば、だれがどうやってコレクションを収集したのだろう。
またMIHO MUSEUMが購入した物については、こんな新聞記事が見つかった

 「古代ローマの盗掘品返して」伊政府、日本に要請へ
(2007年1月11日。読売新聞より)
日本国内美術品の中に、古代ローマの遺跡などから盗掘品が多数含まれている疑いが強まり、イタリア政府が目録をまとめ、文化庁に早期返還の協力要請をすることになった。 返還対象は100点に達する見込み。当局が特に関心を持っているのは滋賀県の美術館MIHOMUSEUMの所蔵品。スイスを拠点に盗掘に携わっていた国際シンジケートから、同美術館が購入した可能性が強いという。
 盗掘古美術品の海外流出、伊検察側が滋賀の美術館名指し
(2007年6月2日。読売新聞より)
イタリアで盗掘美術品が流出した事件で、公判に出席した伊検察側の鑑定人により「日本のMIHOMUSEUMも盗掘品を所蔵している」と指摘される。MIHOMUSEUMが所蔵する大理石の装飾彫刻など、伊捜査当局が国際密輸シンジケートから押収した盗掘品写真中に「同一品が見つかっている」という。

MIHO MUSEUMは「牌飾」を上の記事の様に国際シンジケートから購入したのだろうか。
または中国まで買い付けに行って買ったのだろうか。また、売り手は夏王朝の秘宝とソックリな
ものであること知っていて売ったのだあろうか。もし売り手がそのことを知っていたのであれば、
購入価格は莫大な価格であったと思う。知らなければ案外安い価格で購入できたのかもしれない。

MIHO MUSEUMが所有する「牌飾」はハッキリ言って盗掘品だと考えられる。
MIHO MUSEUMはこの「牌飾」が盗掘品であるとは知らなかったのだろうか。もしかして
MIHO MUSEUMは所有する「牌飾」が夏王朝と関係があることも知らなかったのだろうか

しかしMIHO MUSEUMが所有する牌飾についての知識は正確である。
その知識はどこから得たのだろう。MIHO MUSEUMが所有する牌飾の制作年代を
BC1700~BC1500としているが、これなども正確な情報なのである。
MIHO MUSEUMが牌飾を購入するにあたっては、誰のアドバイスで
購入したのだろうか。並みの骨董屋ではこれだけの知識は無いとおもえる。
いろいろと謎の多いMIHO MUSEUMの牌飾である。

私は
斉家文化の牌飾を中国でかなり買い集めた。夏王朝の牌飾ではないのは
残念なことであるが。しかしそれを収集できたのはそれらが恐らく盗掘品であった
からである。そして夏王朝の銅牌飾のルーツは、斉家文化にあることを発見して
かなり前にホームページに書いてみた。私が集めた斉家文化の牌飾は
以下のようなものである。これは夏王朝の牌飾とよく似ているが、
夏王朝(二里頭文化)のものではなく斉家文化のものである。
だからこそ、これが夏王朝の牌飾のルーツなのである。




その夏王朝の銅牌飾のことをかなり前にある友人に話したことがある。そうしたらその人は
ミホミュージアムで牌飾を見たことを覚えていると言うのである。その友人は
中国の考古学とか、歴史とかその方面にあまり関心が無いように思えたが、
それでもミホミュージアムのたいして大きくもない牌飾(高さ15㎝)が印象に残ったのは、
ミホミュージアムの牌飾が、夏王朝の秘宝級の華麗なオーラを発して輝いていたから
ではないだろうか。ミホミュージアムの牌飾は写真で見ても青銅器時代初期の
素晴らしい芸術品であることが分かる。

私もミホミュージアムに行ってみたいのだが、場所は滋賀県甲賀市信楽町の山の奥にあり
JR東海道本線石山駅からバスで50分。ミホミュージアム行きは一時間に一本ぐらいで
不便なところらしい。しかも冬季の間は道が凍結しているとかで休館しているらしい。
もしミホミュージアムに夏王朝の秘宝が有るのを見に行きたい人がいたら、
それが展示されているかどうか確認してから行った方がいい。
牌飾が常設展示されているとは限らないからである。








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