中島誠之助氏がこの土器は土器を仰韶(ぎょうしょう)土器とも言うと
言ったのは、もしかしたらアンダーソン博士の古い説を参考にしたのかも
しれない。しかし何故古くて間違った説をひっぱり出してきたのだろうか。
私がアンダーソン博士の古い説を見つけ出すのも結構大変だったのだけれど。
とにかくアンダ―ソン土器の中に仰韶土器と言われるものはないのである。
中島誠之助氏の鑑定は間違である。
そもそも「何でも鑑定団」や日本の骨董屋はアンダーソン土器の範囲を
知っているのだろうか。どこからどこまでがアンダーソン土器であるかが
解るのだろうか。こっちはアンダーソン土器で、あっちは
アンダーソン土器ではないと鑑定出来るのだろうか。恐らく出来ないと思う。
何故なら「何でも鑑定団」や日本の骨董屋はアンダーソン博士が
発見した「文化」について知っていないからである。
アンダーソン土器であるかどうかを鑑定するには、目の前にある土器が、
どの「文化」に属するものなのかを鑑定した上で、その「文化」は
アンダーソン博士が発見した「文化」であるかどうかを
知っていなければならない。
中国の骨董屋はこの土器は○○文化の土器であると言って
商売をするが。日本の骨董屋や「何でも鑑定団」が
この土器は○○文化の土器であると鑑定したのを聞いたことがない。
多分中国の土器が属する「文化」についの知識はないのだろう。
アンダーソン博士は下のような文化を発見したのである。
すなわち下の文化に属する土器がアンダーソン土器である。
馬家窯文化・馬家窯タイプ
馬家窯文化・半山タイプ
馬家窯文化・馬廠タイプ
斉家文化
卡約文化
辛店文化
寺窪文化
沙井文化
なおアンダーソン博士が発見した文化やアンダーソン土器の定義については
にも書いてある。
下の図は中国の考古学の本やアンダーソン博士の書いた本を参考にして
私が作図したものである。赤っぽい色の文化がアンダーソン博士が発見した文化である
この図を見るとアンダーソン博士は、馬家窯文化の馬家窯タイプと
半山タイプを、仰韶期としていたことがわかる。これは間違いであるが。